松屋長春の和菓子便り

尾張稲沢の和菓子店、松屋長春の毎日を皆様にお届けします。 末長くお付き合いをよろしくお願いいたします。



はぶてゃーもち

本日は私ごとで申し訳ありません。

「はぶてゃーもち」のおはなしです。



昨日おばあちゃんのお客様がお一人でお店においでになり、「はぶてゃーもちのお菓子ちょーでゃあ」と一言おっしゃいました。

愛知県にお住まいの方々以外はあまりピンとこないかもしれませんが、「はぶてゃーもち」とは羽二重餅の事であります。

いわゆる名古屋弁です。

「ちょーでゃあ」は「ちょーだい」の事であります。

私が住む稲沢市や高校時代を過ごした一宮市などは名古屋弁とは少しニュアンスの違う尾張弁ですが、大きな枠としましては同じような捉え方でいいと思います。

私は東京に二年、そして京都に三年と住みましたが、この尾張弁が強く染み付いてしまっていて、どう頑張っても関東や京都のイントネーションを覚える事ができませんでした。

京都の修行先ではとても強く京都弁を話すよう指導されましたが、最後の最後まで私はダメでありました。修行先のご主人たちからしたら接客中には優しい京都弁で接客して欲しいと切望されていた事と思います。思い返してみるととても申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

私が尾張弁が抜けない理由をあらためて考えてみたところ、祖母の影響がとても強かった事を思い出しました。

私の祖母もネイティヴの尾張弁を話していました。それはそれは優しい口調でいつも私に語りかけてくれたものです。

祖母は私の事を「ゆうちゃん」、私はこれ以上ない大好きな気持ちをいっぱい詰め込んで、祖母の事を「よしこさん」と呼んでいました。

昨日のお客様の「はぶてゃーもち」の合言葉で私が大好きだったよしこさんが一瞬でよみがえりました。お別れしてもう30年近くになりますが、よしこさんとお別れする前に最後に交わした言葉までもが思い返されて涙が滲み出ました。

よしこさん、また会いたくなったよ。

一緒にお風呂も入って欲しいな。喫茶店へも連れてって。乳母車に乗せてもらってよく散歩にも連れてってくれたよね。火鉢で餅を焼いて食べさせて。抹茶にあまーいお砂糖を入れてつくってよ。よしこさんがいつも着ていたステキな着物姿が久しぶりに見たいな。

間違いなく私の人格形成のパーセンテージを大きく占める祖母よしこさん。

よしこさんがいなければ今の私の中の優しさという感情はもっと少なかったかもしれません。

お客様のおかげで祖母の思い出がとめどなく溢れて溢れてセンチメンタルな気持ちになったと同時に、優しいシルクのストールに包まれたようなふわふわとした少年時代に戻る事ができました。

またいつか会おうね、よしこさん。

よしこさんは漢字で書くと美子と書きます。

その字のまんま、心が美しく世界一優しいおばあちゃんでした。