松屋長春の和菓子便り

尾張稲沢の和菓子店、松屋長春の毎日を皆様にお届けします。 末長くお付き合いをよろしくお願いいたします。



叱るよりも叱られろ

自分の子供たちを見ていると、時折まるで鏡を見ているかのようにそっくりに思える時があります。

容姿がということではなく、言うことや行動、反応などから私が彼女たちと同じ年齢だった頃のことが思い出されるのです。

似ていると言ってもたいていは悪い面が似てくるもので。

自分にも心当たりがあるので、小骨がつかえた感じではありますが、たまに娘たちに対してしっかり怒ってみせたりもします。

しかし、少し罪悪感が残って後味はいいものではありません。

自分もそうであったのに、叱る事ができるのかと自問自答する事がよくありますが、やはり娘たちには人として真っ当な生き方をして欲しいと願うのが親の常ではないでしょうか。なので、たまに我慢しかねる時にだけ小言を言わせてもらうようにしています。

教育とはとても難しい。

とはいえ、言葉だけで子供に物事を伝えるのは不可能だと思っています。

子供が終始見つめているのは、常に大人の姿そのものなのだから。

そして、自分は彼女たちの一番近くにいる大人なのです。

一挙一動を見られているわけであるのです。

自分自身が子供の頃体験したことを伝えるのはあくまでもアドバイスに過ぎないのではないか。。

だとすると、少しこわくなります。

自分は見せるに値する人間なのだろうかと不安になったりもします。

やはりとても難しい問題であります。

ある時から私は親としての威厳は全てかなぐり捨ててしまいました。

表現としては合っているのかどうかはわかりませんが、横一線と言いましょうか。一人の友人と言いましょうか。とにかく娘たちと同じ地位にいることにしました。

と言いますのは、娘たちが私よりも立派な部分がたくさんあることに気づいたからであります。というか気づいていたのにきちんと認めようとしていなかったのです。

自分の子供と言えども尊敬できるところはしっかりと認めて、敬わなければなりません。

今は彼女たちを叱るよりも彼女たちに叱られる事が多くなってきているとは思いますが、父親としての私の立ち位置がとても居心地の良いものになってきました。

家族のかたちは色々あれど、自分たちが一番心地よいところがやはり気持ちのいいものであります。模索しながらやっと現在のかたちになってきたように思います。

私にとっては「叱るよりも叱られろ」これが一番いいようで。

昔から両親、担任の先生、部活の先生、修行先の先輩方など様々な人たちから叱られてきた私です。いまさら人を叱る側にはなかなか立てないようです。

無理をしてはいけません。

これが私の生き方なのだと近頃やっとわかってきました。

昨日の晩は次女と三女と一緒に夕飯を食べに行きました。



眉間にシワを寄せることなく、終始笑顔でいたいものです。

これは家族だけでなく、家族以外の友人たちとの付き合い方にも当てはまる事だと思っています。