松屋長春の和菓子便り
尾張稲沢の和菓子店、松屋長春の毎日を皆様にお届けします。 末長くお付き合いをよろしくお願いいたします。
「ふところ」をゆたかに
映画「破戒」を観ました。
これほど胸に突き刺さる映画が今まであっただろうか。観終わったのち、あまりの衝撃に私は言葉を失い、溢れる涙が止まらなくなりました。
この映画は部落差別に深く切り込んだものとなっています。
かつての部落民である穢多(えた)出身の主人公が、父親からの言い付けを守り、素性を明かさないまま教員の仕事に就くところから物語は始まります。
観ている私が胸を締め付けられ苦しくなるほど、主人公の心の葛藤が続くのですが。。。
あるきっかけを機に親友たちの支えを受けながら、父親の教えを翻し己の素性を明かす事を決意する。。
非常にどんよりと暗い序盤からエンディングに向けて眩いばかりの光が差し込むような、素晴らしい映画に仕上がっています。
飾りのような煌びやかな挿入曲はほとんどなく、全体を通して演者たちの一挙手一投足、そして演者たちから紡ぎ出される重い言葉たちに全力でスポットライトを当てているところにこの映画の凄みというものが凝縮されていると私は感じました。
劇中に出てくる言葉に
「もし、この先に部落差別というものが無くなってもおそらく差別というものは無くならないだろう。それは人間というものが弱いからだ。」
があります。
私にはこの言葉が強く残りました。観終わってからしばらく経ってこの文章を書いているのですが、いまだにずっと頭から離れないでいます。
差別とは人を下に見ることです。誰が人の優劣を決めるのでしょう?そんなものは最初から無いのに。
私が一番嫌うものは人の噂話と悪口であります。
娘たちにも小さい頃からずっとそう教えてきたつもりです。
この世に生を受けた者として、これが一番大切な事だとも思っています。
自分自身の「ふところ」をより豊かに。
そんな人間でありたいとあらためて思った次第です。
世界中の人々にこの映画は観ていただきたい。それくらいの価値がある映画だと私は思います。
鮎という魚
さかなへんに占うと書いて「鮎(あゆ)」と読みます。
だいたい魚の漢字はさかなへんでありますが、どうして占うという漢字を採用したのでしょうか。
昔の人はその年の鮎の遡上の状況を見て、一年の良し悪しを予想していたのかもしれませんね。私の勝手な解釈ですが。
鮎は別名「香魚」とも言います。
小魚の頃は昆虫や虫などの動物性のものを食べていますが、春先に川をのぼるようになると、川底の石に付いた苔を食むようになります。
その食べた苔が鮎の香りのもととなり、よく形容されるのは「スイカの匂いがする」です。
鮎に鼻を近づけてみると、なるほど。スイカのようなとてもいい匂いがするんですよね。魚の生臭い感じは一切しません。
鮎の分類はキュウリウオ目。公魚(ワカサギ)と同じ仲間になります。そう言えばワカサギを釣って匂いを嗅ぐと同じ系統の香りがします。
余談ですが、塩焼きは鮎と太刀魚が最も好み。
前置きが長くなりました。
松屋長春の「若あゆ」はスイカの香りはしませんが、卵の優しい香りがふんわりと漂います。
お腹には魚卵ではなく、ふわふわの羽二重餅を抱いております。
水すまし
「梅雨のあと 水面をはねる みずすまし」
冒頭から下手な歌を詠んでしまい申し訳ございません。
本日より販売を開始いたします和菓子「水すまし」です。
よく「水すまし」と「あめんぼ」を混同しがちですが、実はこの2つは全く姿の違う別物の昆虫であります。
「水すまし」は甲虫。姿としましてはゲンゴロウやカナブンのような外観であり、一方「あめんぼ」は蚊のオスのような外観です。
似ているところを無理矢理見つけるならば、どちらも水が好き。水ある場所にいる昆虫だというところだけ。笑
これらの昆虫たちは梅雨中の雨がシトシト降り続くような、ちょうどこの時期に一番盛んに動き回ります。
そんなタイミングでお店に並ぶ、水に因んだ和菓子です。