松屋長春の和菓子便り
尾張稲沢の和菓子店、松屋長春の毎日を皆様にお届けします。 末長くお付き合いをよろしくお願いいたします。
ガンバロ
オリンピックとパラリンピックはセットのように報じられているようですが、私はどうやっても同じようには捉えて観戦できません。
私の捉え方が間違っているかもしれませんし、どなたかからの批判を覚悟で書いています。
本当はそのあたりはご容赦いただきたいのですが。
五体満足で産まれた人ではない方々、人生志半ばで事故や病気などで障害を持たれた方々、さまざまな事柄を引っ提げて自分自身を鼓舞しておられるみなさん。
私はパラリンピックはオリンピックとは全く違った目線でパラリンピックを観戦しています。
前にもおはなししたと思いますが、私は二度の突発性難聴を経験して今は左耳が全く機能していません。
病院の先生から伺ったところ、片耳の不自由は障害者には該当しないんですって。
私なぞは、障害を持つ方々の足元以下にも及ばないのです。
障害を持たれているアスリートのみなさんはオリンピックと違い、その障害の度合いによって競技が細かくわかれています。
かと言ってそれはとても同等とは言えないもので、今日仕事が終わってから観戦した水泳でも、両手の自由が効く人と両手両足が何かの理由で欠損している人とが同じレースで登場します。
ある意味不公平ですよね?
アスリートのみなさんは全員、間違いなく全員が自己ベストの更新を狙って出場されていると思います。
自分なりのベストを尽くして懸命に競技に打ち込まれているのはオリンピックと変わりないのでしょうが、彼ら彼女たちの結果とは関係なく浮かべる屈託のない幸せな笑顔に私は胸を強く打たれ、そして毎度涙するのです。
パラリンピック競技をテレビでみていると、アスリートのみなさんが淀みない笑顔で競技に打ち込んでおられます。
片耳だけ不自由なだけで不自由などと声をあげてはられないなと、毎回観る度にそう色んなパラリンピック競技から教えてもらうんです。
あるアスリートの方がおっしゃっていたのを思い出します。
「私は障害という言葉が嫌いです。人に害を与える存在でもないのに害という文字が付くのがとても嫌なのです。」
みんなと同じように生きたい!
そう思うのは私も同じですが不自由な箇所があるために、やはり苦労も少なからずあります。
左耳が不自由な私はカウンター席だけの会食などは必ず左端に座らせてもらいます。それは左隣に座った方の声が全く拾えないから。
何人かで座るカウンター席では、私は一番右端に座った友人の声は全く聞こえません。
たまにはカウンター真ん中にも座りたい!右端にも座りたい!
そんな風に思ったりもしますが、今はそれはどうやっても叶わない願いであります。
「障害」「不自由」
私もなかなかそれ以外の言葉は全く見つけられませんが、もう少しみんなが納得のいく言葉があればいいなって思います。
五体満足だと思っている、いわゆる「健常者」と言われている方々もみな間違いなく万能人間ではありません。
苦手!ここが全くダメ!人より劣っている!
そんなところは誰しもいくつも持っていると思います。
じゃ、みんな一緒じゃん。一緒じゃん。
そう思って生きたならば、もう少し差別や偏見など無くなります。もし、差別や偏見を持っていたとしたらとんでもなく恥ずかしい!
そう間違いなく思うと思います。
そんな人がもっとたくさん増えたらいいな。
私はそんな願いを込めてオリンピックに続き、違った目線でパラリンピックの選手たちを一生懸命応援します。
パラリンピックに関して言えば、日本人選手だけに限らず全選手に目を向ける私です。
なんだかわかりませんが、とてもいい事だと自分なりに解釈しています。
みんな、ガンバレ!
今日みた彼女の笑顔がとっても素敵でした。

また明日もガンバロ。