松屋長春の和菓子便り

尾張稲沢の和菓子店、松屋長春の毎日を皆様にお届けします。 末長くお付き合いをよろしくお願いいたします。



ツギベツ

「きび羹」と銘打って毎年お店に並ぶ、松屋長春の定番商品です。








このように若緑色にしたり黄色にしたりと、つくる時の肌で感じる感覚によって色を決定しています。




この「きび羹」は祖父が創業時からお店で販売している最古参に当たる夏の和菓子です。ですので90年近くはずっと続いている和菓子となります。




実際に穀物のきびは使用していないのですが、おそらくきびに似た大きさの粒感があるので、この名前が付いたのだと私は推測しています。




また我がお店の仕事場では、この和菓子の事を「きび羹」とは呼ばずに「ツギベツ」と呼んでいます。




こちらも私の勝手な推測ですが、2種類の素材を継ぎ合わせているからではないかと考えています。




漢字で書きますと「継別」となります。




たぶんどちらも私の推測は当たりだとは思いますが、祖父が生きていたら実際に私の推測が当たっているのかどうか直接聞いてみたいものです。

arigato

皆さま、ボクシングの試合はご覧にはなられないでしょうか。




先日、井上尚弥選手とフィリピンの生ける伝説ノニトドネア選手の試合がありました。








私のその日の試合の時間に用事がありましたので、生放送では観られなかったのですが、翌日に入場から退場そしてインタビューまで全部観ました。




井上選手とドネア選手の試合はこれで2度目。




前回も試合前から試合後までもお互いを尊敬し合い、感動したのですが。




ドネア選手の礼儀正しさは日本人以上かもしれません。




目に涙を浮かべながら完全アウェイである日本の地で大半を占める日本人にお辞儀をして挨拶する姿は、誰の心をも動かした事でしょう。




今回は前回以上に感動いたしました。




試合が終わってすぐに私の拙い英語ではありますが、ノニトドネア選手に直接礼儀正しさに感動した旨と負けて残念だったけれど、変わらずこれからも応援するという内容のメッセージを送りました。




二日後に「arigto,ganbarimasu!」との返信をご本人からいただいた次第です。




思いっきり涙が出ました。




スポーツは心技体とよく言うものですが、やはり心が整っていなければ素晴らしいパフォーマンスを発揮できないものです。




ドネア選手、ボクシング選手としては晩期中の晩期に差し掛かってきていると思います。




現役をこれからももし続けるならば、是非もうひと花咲かせて欲しいものです。




ガンバレ。




私はあなたのようなクリーンでピュアで優しい人間を心から尊敬いたします。

私の考え

ある本を読んでいたら「わかる」ことと「できる」ことは全く別物である、そう書いてありました。

読み進めてみると、なるほど。

理科の実験になぞらえてみますと、授業で実験の順序を習い、そして実際に実験してみる。勉強して知ることと、実際にやってみて知ったことは大きく違いがある事がわかります。

私たちは今、知るための情報源に溢れています。本やテレビに加えてインターネットの普及が情報の流通を飛躍的に向上させたことは言うまでもありません。

知りたければネットに頼る!私の中でもインターネットが多くを占めるようになってきました。

しかし、知りたい欲求を満たして「わかる」事ができてもその先は実際に経験して「できる」が無ければ深く掘り下げられずに終わってしまいます。

こうした簡単な「わかる」はその時こそ、はいはい!わかりました!と合点しても自分の中に浅くとどまるだけでいつまでも残らないものです。いつの間にか忘れてしまうものです。

経験を踏んでやっと自分の中にいつまでも深い記憶として残るものなのです。

和三盆糖の干菓子である打物を打ちました。



松屋長春オリジナルの型「衣かけの松」です。



和菓子職人としてかけだしの頃、こういった干菓子を打つこともままならなかった私は、先輩職人から打ち方を伝え聞き、実際に経験を重ねて現在に至ります。

「わかる」から「できる」へと変化して、しっかり私の技術として身に付きました。

私が読んだ本にはこの2点が書いてあっただけですが、私はこの先の「気付く」がとても大切であると考えています。

人に教えてもらい理解し、実際にやってみて覚える。その繰り返しの中に「気付く」があり、工夫する事によってより進化していくのです。

気付きがなければ進歩は望めません。

この「気付く」によって松屋長春の干菓子はとても素晴らしい商品としてお客様にご提供できているのだと思います。

私は毎日仕事をする中で多くの「気付く」があります。

その「気付く」は両親たちも、また娘夫婦たちも同じように持っています。

お互いの「気付く」をかき集めて、できるだけより良いものへと昇華させなければなりません。

また、進化や進歩はここで終わり!というものがないものです。

松屋長春として昨日よりも良いパフォーマンスをお客様にお見せできたらと考えています。

そのためにいつも感度の良い「気付く」というアンテナを張り巡らせておかなければなりません。