松屋長春の和菓子便り
尾張稲沢の和菓子店、松屋長春の毎日を皆様にお届けします。 末長くお付き合いをよろしくお願いいたします。
人生、捨てちゃいけない

今夜は三女と二人で幸せの手羽先を食べてきました。
黒鯛釣りを全身全霊で打ち込んだ時期が12年ほど続きました。
その幸せな時期をいつも一緒に過ごしてくれた友人が営むお店に久しぶりに行ってきました。
風来坊鳴海店


優しい味、忘れられない味。
心地よい思い出と一緒にいただきました。
思い返せば、人生の一番きつい時期にいつも優しく私に寄り添ってくれたのは彼でした。
どれほど心が救われただろうかと考えますと、彼には感謝しかありません。
釣りからは遠ざかってしまった私ですが、ガッチリと結びついた彼との絆はいつまでも変わらず続いています。
人生の節目節目には必ず救世主がいるものです。
精神が不安定で、もう浮上することはないだろうと思っていた30代の頃。彼は真っ暗闇をさまよっていた私に手をそっと差し伸べてくれた救世主でした。
生きていると高い壁が立ちはだかることも、大きな波が押し寄せることも、何度も何度もあります。
そんな時に誰かが自分を支えて倒れないようにしてくれるものです。
「人生は捨てたもんじゃない」
人生はどう転んでも捨てちゃいけない。
そう思います。
人は人に支えてもらいながら生きているのです。
苦しい時は思いっきり甘えて支えてもらったらいいんです。
いつもありがとう。ごちそうさまでした。
「なんで?」と「組み合わせ」のおはなし
春の装いで、蒸しようかんがお店に並びました。

蒸し羊羹は名前こそ「ようかん」となっていますが、みなさまがよくご存知の「ようかん」とは全く違うものです。
原材料も違えば、味や食感も違います。
どうして見た目だけでこんなややこしい名前にしてしまったんだろう?
世の中にはWHY?がたくさんありますので、疑問を持つだけで咎めることだけはしないでおきましょう。
たぶん、最初に名前を付けた和菓子職人の方はおそらく天国で「ああ、なんであんな安易な名前にしてしまったんだろう?俺のバカバカ!」といった具合に後悔していることでしょうね。
勝手に天国なんて言いましたが、もしご存命でしたらごめんなさい。
話はこの「蒸しようかん」に戻ります。
この蒸しようかんと軽羹の組み合わせは私の中でのお気に入り。
もっちりとした蒸しようかんの食感に軽快な見た目とやわらかでふわふわの食感の軽羹との取り合わせがとても絶妙だからであります。
また、軽羹の薄紅色と純白の組み合わせは軽やかな春の調べを想起させるもので、この取り合わせも私の大がつくほどの好みでなのです。
組み合わせってとても大事。
焼肉を食べに行ったのに飲み物はバナナシェイクやクリームソーダというわけにはいかず、どうしてもビールが欲しくなるように。
ああ、このブログを書いていて無性に焼肉が食べたくなってきました。
帰省
昨日、一昨日と短い間でしたが、長女が一時帰省しておりました。

ずっと顔を見ていない気がしていたので、その事を娘に伝えると「2か月に一度くらいのペースでは帰ってきてるよ」ですって。
寂しいものは寂しいのです。
久しぶりに娘の顔を見て、直に声も聞く事ができて、元気そうな姿を確認できて、とっても嬉しい父であります。
この二日間は仕事に追われ追われている時期と重なっていたため、なかなかゆっくりと話す時間も取れませんでした。
食事もお弁当などを買ってきて、一緒に食べる事がほとんどでしたが、なんとか昨日の昼ごはんだけは時間を少しだけつくって私の手料理を食べてもらうことができました。
料理は全て感性で。
全くレシピ本やインターネットなどは参考にしないので、これが正解なのかどうかはわかりませんが、私特製の油淋鶏です。




満足してくれたようです。
「さようなら。仕事頑張って。仕事仲間に感謝されるように一生懸命やるんだよ。」
そんな言葉を伝え、駅まで送り届けてきました。
また胸を張って帰っといで。
今度はしっかり時間つくって料理したいと思います。