松屋長春の和菓子便り

尾張稲沢の和菓子店、松屋長春の毎日を皆様にお届けします。 末長くお付き合いをよろしくお願いいたします。



松屋長春では珍しい色の付いた羽二重餅がお店に並びました。



羽二重餅の生地を淡いブルーに染め上げ、備中白小豆こしあんを抱き込ませました。

頂には鮎の焼印を施し、涼しげに仕上げてあります。

話は変わりますが、今年の鮎は大丈夫なのでしょうか。

梅雨の豪雨が日本中を被害の渦に巻き込んでいます。

当然、濁流の川では多くの魚たちが下流へ下流へと押し流されていくでしょう。

釣りに夢中になっていた若い頃、(おそらく今でもそうでしょうが)台風や大雨の後は黒鯛がよく釣れました。大雨後、いそいそと海に出かけたものですが、台風後などは特に亀や鯉やフナなどが多く死んで、海に浮かんでいたのを思い出しました。

被害がいち早く収まって、美しい川が戻る事。そして美しい川に鮎が気持ち良く泳ぐ日が戻る事を祈っています。

木型と打物

生まれた時から我が家に和菓子の道具が全て揃っている。

私が一番ありがたいと感じている事の一つであります。

和菓子屋を創業しようと考えた時、お店や工場の他に道具や機械全てを揃えなければ第一歩も踏み出すことはできません。

私の祖父が松屋長春を立ち上げ、父そして私へと受け継がれているので、だいたいのものは心配せずとも使う事ができています。

祖父母には感謝しなければなりません。

和菓子の大切な道具の一つに木型があります。



使い終わって洗った後の写真なので少し濡れているのはご容赦ください。

ここに夏用として使った木型があります。

左三つは祖父が買い揃えたもの。

一番右の水紋の木型だけは、私が栃木県に住んでおられる有名な彫り師のご自宅まで赴きオーダーして彫ってもらったものです。

木型は現在、彫り師が天然記念物よりも少なくなってきている状況であります。絶滅寸前なのです。

また、実際にオーダーして購入しようと思っても小さいもので5、6万円は平気でします。値段をケチるとそれ相応の木型しか出来上がらないものです。

一年間を通して心配なくこのような道具が揃う事のありがたさをあらためて気付かされます。

木型は彫り師の彫り方の癖が大きく出るもので、オーダーした時代時代で全く違うものが出来上がっています。また、木はものすごく硬いものが使われていますのでヘタリはないものの木の色や風合いが年を重ねるごとにより深みのあるものとなってきます。

おそらく、写真一番左端の撫子の木型が一番古いものでしょう。

さて、今年の夏の干菓子が揃いました。



干菓子の中の打物にも目を向けていただきたく、今日はこんな事を書きました。

屈強なからだ

私は毎日豆を煮ます。

ある日はこしあん、ある日は粒あんを。

写真は丹波春日大納言小豆の粒あんが出来上がった瞬間を撮ったものです。



色々な方々によく言われる言葉に「和菓子屋さんは本当に繊細な仕事ですねぇ」があります。

もちろん間違ってはいませんが、和菓子をつくっている時だけが繊細なのであって、実は力仕事がとても多いという事はあまり知っていただいておりません。

写真のあんの入れ物一つでも20キロ以上あります。当然、父も母もこれを今でも容易く持ちます。

しかし、両親が高齢となってきた今、仕事場の力仕事のほとんどが私が担うようになりました。

特に毎日の小豆からあんへと仕上げる「煮炊きの作業」が一番大変であります。

こしあんを搾る搾り袋の重量は50~60キロ。これを難なく持ち上げなくてはなりません。

また、煮炊機の周りは夏場になると40度は軽く超えてしまいます。そして当然湿度も80%を超えてきます。

過酷な労働が伴って、やっと和菓子が出来上がるのです。

知り合いの和菓子屋さんを見渡してみますと、だいたいがっしりとした体つきの方が多いように思います。(もちろん細い体つきの方もおいでですが。)

職人皆が頑丈で力持ちでなければ、この和菓子屋は続けられないのではないかと考えています。

私も身体のところどころに少々の痛みを抱える時こそあれど、故障した事は今まで一度もありません。

そう思い返してみますと、屈強なからだに産んで育ててくれた両親にはただただ感謝しかありません。

追記ですが、私の長女はいま、和菓子の世界に入って五年目となります。随分仕事場でも鍛えられているのか、たまに帰省して一緒に仕事をするとその力の強さに驚きを覚えます。

一般女性よりも腕っぷしの強い女性に成長してくれました。

頼もしい限りです。